2003年 06月 09日 和歌山県 田辺 |
〜本能・学習・記憶・想像〜 当たり前のことだろうが、 私は今、生きている。 しかも、ずうずうしい話だが、まだしばらく生きていくつもりだ。 当たり前のことだろうが、 私にもいずれ死は訪れる。 近いのか?遠いのか?そんな事、私の知る由も無い。 さて、ここで問題だ。 果たして、この子達も同じような感覚なのか? 昔の事を思い出したり、 怒ったり、笑ったり、悲しかったり、 未来を想像したり、 いづれ死ぬという事を考えたり、、、 たぶん、出来てないだろう。 私は偉い学者さんじゃないので、 ここで勝手な仮説で書いているが、 「たぶん出来てない」のたぶんは・・・・ 毎年決まった時期に繁殖してみたり、 危険を感じると防衛してみたり、 一定の時期浅場ですごして、深場へ引越ししてみたり、 男が女になってみたり、 男が女にエサを運んでみたり、 教えてもいないのに見事な巣穴を掘ってみたり、 その巣穴に他種の同居人を招いてみたり、 同居人は危険が無いか見張り番をしていたり、 産卵・繁殖のために長旅をしてみたり、 長旅の果てに朽ち果ててみたり、 卵を守るため、体を痛めて朽ち果ててみたり、 幼魚たちは朽ち果てた親の体を食べて生きていったり、 頭の上のさおで獲物をおびき寄せたり、 小さい体を寄せ集めて、大きなひとつの塊を作ってみたり、 と、一言で「本能」だとは片付けられないほど、 多種多様の神秘的で、興味深い行動を見せてくれるから。(笑) で、多分相当見落としている。 潜れば潜るほど、新しい発見があったり、 意外な一面が見えたり、、、 鯨の一生も、サメの一生も、イルカの一生も、 マグロの一生も、ハタの一生も、カサゴの一生も、 ハゼの一生も、エビの一生も、カニの一生も、 大きな海の小さな物語。 私の一生も、あなたの一生も、誰かの一生も、 そんな、小さな物語に負けない、恥じないものじゃないと いけないんじゃないですか?(笑) 2005/05/10 Keiji Hasuike |